*** 日本で最初に無痛分娩を受けた芸能人は、意外なあの人だった! ***
日本で最初に無痛分娩を経験した芸能人は誰だか知っていますか?
実は意外なあの人だったのです。
歌集「みだれ髪」や、日露戦争での「君死にたまふことなかれ」
そして「源氏物語」の現代語訳などでも知られている、、、
そうです、この人です。
与謝野晶子
今も無痛分娩施設で有名な順天堂病院で、近江医師の立ち合いのもと、5人目のお子さんを無痛分娩で出産したと言われています。
今から100年以上も前、1916年(大正5年)のお話です。
ちなみに与謝野晶子のお子さんは全部で12人もいて、次男の与謝野秀は東京オリンピックの事務長をしていた方だそうです。
昔は本当にたくさんの出産をしていたのですね。
当時、無痛分娩は「無痛安産法」と言われる方法で行われていて、使われる薬もやり方も全く異なるものでした。
国立国会図書館に、その方法について記述された本がありました。
(国立国会図書館デジタルコレクションより)
麻酔薬にはスコポラミンという薬が使用されていて、この薬で脊髄くも膜下麻酔を行ったようです。(脊髄くも膜下麻酔の方法については***無痛分娩の種類***)
スコポラミンは日本ではブスコパンという薬として知られていて、消化管の運動をおさえる作用があります。現在でも消化管内視鏡の前処置などに使われていたりします。
当時のドイツでは、この方法で5万人以上のお母さんが出産していました。
麻酔科医としては、このスコポラミンが鎮痛薬として、しかも脊髄内に入れて使用されていたことは驚きです。
100年以上経った今でこそ、無痛分娩の方法は確立されたものとなってきましたが、当時は画期的な試みであったことでしょう。
与謝野晶子はどのような気持ちで無痛分娩を受けたか気になるところです。
最近ではたくさんの芸能人が無痛分娩を受けてニュースになっていますが、そちらについては他章でお話したいと思います。
(***芸能人も無痛分娩の時代***)
この章では、日本で最初に無痛分娩を受けた芸能人についてのお話をしました。